こんにちは。 街はすっかりクリスマス一色となり、年末ジャンボの賑わいに年の瀬を感じる季節となりました。いよいよ2025年も幕を閉じようとしていますね。
みなさんにとって、今年はどのような一年だったでしょうか。年を越す前にしっかりと振り返りを行い、清々しい気持ちで新年を迎えたいものです。
さて、振り返りといえば、みなさんは年始に引いた「おみくじ」の結果を覚えているでしょうか。 「大吉」に歓喜した方、はたまた「凶」を見て早々に一年の終わりを悟った方……。それぞれに一喜一憂されたかと思います。しかし、実際に運勢通りの一年になった、と自信を持って言える方はどれほどいらっしゃるでしょうか。
かくいう私は、実は今年、青島神社にて「大大吉」という稀代の豪運を引き当てました。 噂にすら聞いたことのない結果に、「これは僥倖だ!」と舞い上がり、呑気に一年の「勝利」を確信していたのです。しかし、いざ一年を顧みてみると、棚ぼたで大金を得たわけでも、浮いた話があったわけでもありません。実感が伴わないまま、「例年よりは少しマシだったかな?」という、なんとも解像度の低い感想に落ち着いてしまいました。

なぜ、最高の結果を引いたはずなのに、手応えが薄いのか。 この内省を突き詰めた結果、私は一つの哲学的な問いに辿り着きました。それは、「そもそも自分は、おみくじの指針通りに行動できていたのか?」ということです。
結局のところ、運勢というものは向こうから勝手にやってくるものではありません。 「運勢が良い」と信じることで万能感に満たされ、あらゆる出来事をポジティブに変換して動けるようになる。逆に「運勢が悪い」と思い込むと、心理的なブレーキがかかり、せっかくの好機を「リスク」と捉えて見逃してしまう。
つまり、おみくじの結果が未来を決めるのではなく、その結果をどう解釈したかが私たちの「行動」を規定し、その行動が「現実」を作り上げているに過ぎないのです。
どれほどの幸運も、何もしなければ空に消えるのみ。確変中の台であっても、座らなければ抽選すら受けられないのと同じです。おみくじの運勢とは、天から与えられる「結果」ではなく、自らの行動をブーストさせるための「触媒」に他ならないのでしょう。
少々偉そうなことを申してしまいましたが、要するに私は「大大吉」という最強のバフ(恩恵)を授かりながら、それを活かしきれずのうのうと過ごしてしまった愚か者だったのです。
来年もおみくじは引くつもりですが、その結果がどうあれ、あくまで「参考程度」に留めようと思います。運勢は検証すべき「仮説」であり、正解にするのは自分の行動次第。 「運はもたらされるものではなく、自ら引き寄せるものだ!」という、どこかの漫画のような台詞を胸に刻んで締めくくりたいと思います。
残り少ない今年も全力で駆け抜け、最高の結果を掴み取りましょう。 私はまだ、今年の大大吉の効果を諦めていません!











